東京をもっと魅力的に、持続可能性を高めるための農家たちの勉強会『みどり戦略TOKYO農業サロン』
今回のケーススタディ・レポートは、あきる野市養沢地区で、2020年にヤギの酪農で新規就農した「養沢ヤギ牧場」の堀 周(ほり いたる)さんです。

御岳山からの清流沿いにある「ヤギ牧場」と「チーズ工場」

 あきる野市養沢はその名の通り、古くから山岳信仰のある御岳山からの清流が流れる谷間です。
JR武蔵五日市線の終点、武蔵五日市駅からバスで20分、徒歩で15分。養沢ヤギ牧場へと登る道のその先は登山道で、民家はありません。
 斜面地の上からしきりと「メー、メー」と鳴き声が聞こえてきます。見上げると、こちらを興味深げに見下ろしている真っ白なヤギたちと目が合います。訪問した2023年11月当時、牧場にいるヤギは総勢40頭ほどです。
堀さんはこの地で古民家を借りて就農、納屋を改造してチーズ工場も作り、チーズの製造販売で生計を立てています。

飼育小屋もチーズ工場も自作でコストを抑えた

 山奥でヤギを飼って暮らしているというと、まるで自給自足のスローライフを送っているのではと想像してしまいますが、堀さんは農業経営として収益性も考えた上でこの形を選んだといいます。
 「理系の大学を出てから建築資材メーカーでサラリーマンをしていました。いずれは独立したいと考えるなかで、岡山県でチーズを製造している牧場のことを知って、これだ!と。チーズが特に好きだったということではなくて、自立した働き方・生き方を目指すならいい道だと思ったんです。」(堀さん)

 堀さんは、まずは北海道の牧場で2年修行。そして、実際に就農を考えて関東で候補地を探していたところ、自身の出身地でもあるあきる野市でも可能なのではないか、と考えるようになります。
 「牛の牧場となると、土地面積も初期投資もかなりかかります。でも、ヤギであれば圧倒的にコストを下げられる。牛は1頭800㎏の体重ですがヤギは70㎏ほどなので、一人で機械を使わずに数十頭管理することも可能です。さらに野菜生産など通常の農業には適さない斜面地でもできるということで、地元で探し始めました。」(堀さん)

 就農するには実績も必要ということで、八王子の磯沼ミルクファームに勤めながら、実際に種付けされたヤギを1頭購入、生まれた2頭の子ヤギとともに育ててヤギチーズの試作に取り掛かりました。
幸いなことに最初の1頭の乳量が通常よりもかなり多く、大当たり。生まれた2頭も、ラッキーなことにメスでした。

前代未聞「東京で畜産就農」をやりとげる

 試作したチーズも好評で、斜面地の農地付き古民家も見つかり、とんとん拍子に話が進むかと思いきや、実際には苦労の連続でした。
 「まず、就農においては営農計画の提出があって、事業として持続性があるかなど審査されるのですが、当然審査する側もヤギ牧場の経験も前例もないわけで、説明するのには苦労しました。それから、嬉しいことではあるのですが、就農のタイミングと自分の子どもの出産のタイミングが重なりまして、しかも双子でてんやわんや。さらにはその年の台風で、家の前が土砂崩れになってしまいまして…。忙しすぎてその頃の記憶はあいまいなほどです。」(堀さん)
 
 そんな試練にもめげずに、2021年の本格稼働に向けて飼育体制を整え、チーズ工場の改築も、木工作家である父親に手伝ってもらいながらほぼ自前でやり遂げました。

自宅併設の納屋を改装したチーズ工場。ヤギの飼育からチーズ製造まで、すべて一人で取り組む。

 「ヤギの酪農サイクルは春に出産、それから8か月間搾乳。秋につぎの年の種付けをしてしまえば、翌春まではあまり仕事がありません。出産がはじまってからは、ノンストップで朝夕搾乳して、チーズ作りをしてと休む間もないのですが、通年搾乳できる仕組みができている牛と違って農閑期もきっちりしています。」(堀さん)

 しかし裏を返せば、忙しい8か月で1年分の稼ぎをキッチリつくらなければなりません。最初の1頭から生まれた2頭と併せて3頭のメスを種付けして、翌年からは倍々で頭数を増やしていきました。
順調に頭数は増え、2023年には最大で40頭を飼育するに至ります。

 「ヤギも、妊娠しなければミルクは出ません。つまり毎年繁殖させる必要がありますが、生まれてくる半分はオスで処分しなければならない。それからメスも、搾乳とチーズ製造が可能な範囲で考えると、私一人で管理するなら15頭が限界だなと。乳量が下がってきた高齢のヤギの引退も含めて、出口を作る必要があります。」(堀さん)

最後の精肉までともに「仕事仲間」として

 牛よりも圧倒的に飼育コストが安く、また日本全国で製造所は30軒程度と希少なヤギチーズ。差別化は計りやすいものの、ヤギミルクもヤギ肉も通常の流通に乗せられるルートはありません。
必要な頭数をコントロールしながら収益化するには、すべて自前で調える必要があります。

 「牧場からあふれた出口として、一番いいのが愛玩用などで飼育してくれる人を見つけること。収益性が、最もいいです。次に自分で屠畜場に持ち込んで、枝肉となったものを精肉店や飲食店に販売すること。最後の手段として家畜商に委託してしまうというのもありますが、これだとほぼ収益はなくなります。」(堀さん)

 堀さんはヤギを「仕事仲間」ととらえています。
生まれた子ヤギたちは親と隔離して、親の搾乳と子の授乳の両方を堀さん自身が管理するため、子ヤギたちにとって堀さんはまさに「母親」でありよくなついています。
そのヤギたちを半年間健康に育てたのち、自ら軽トラに乗せて屠畜場に持ち込み、肉として販売するところまでやりきるというのは、自ら選んだ農業経営に対する覚悟あってのことでしょう。
畜産はまさに生命と向かい合う仕事です。

期待が高まる「養沢ヤギ牧場」のこれから

 チーズの販売自体は順調です。搾乳期には2日に一度製造に入り、8か月間作り続けます。特に宣伝などしなくても、直売や取引先の飲食店でほぼ売り切れていきます。
実際に食べてみると、ナチュラルチーズらしい独特の酸味が、舌の上でクリーミーにとろけていく感じがたまらなく美味です。

 「東京での“新規就農”で、“ヤギチーズ”というキーワードは、確実に強みとしてあるなと思っています。ただ、今後どう展開していくかは結構悩みどころで、やりたいことはいくつかあるんですが、人手を入れないと今以上には広げられないなと思っています。」(堀さん)

 チーズの種類を増やす。アイスなど別の加工品に取り組む。そのためには土地もヤギも増やして、牧草も可能な限り地場調達する。都市部が近いことを活かして、ふれあいや牧畜の体験を受入れる…。
アイデアは次々とわいてくるものの、農閑期がある営農において雇用は難しい問題です。
 しかし、東京で誰もが実現できなかった「酪農で新規就農」を実現させている堀さんならば、この先も新たな道を切り開いてくれるのではないか、という期待が、どうしても高まってしまいます。

木の葉も大好物で、持っていると近寄ってくる。

㈱農天 代表取締役  NPO法人くにたち農園の会 理事長

小野 淳/ONO ATUSHI

1974年生まれ。神奈川県横須賀市出身。TV番組ディレクターとして環境問題番組「素敵な宇宙船地球号」などを制作。30歳で農業に転職、農業生産法人にて有機JAS農業や流通、貸農園の運営などに携わったのち2014年(株)農天気設立。
東京国立市のコミュニティ農園「くにたち はたけんぼ」「子育て古民家つちのこや」「ゲストハウスここたまや」などを拠点に忍者体験・畑婚活・食農観光など幅広い農サービスを提供。
2020年にはNPO法人として認定こども園「国立富士見台団地 風の子」を開設。
NHK「菜園ライフ」監修・実演 
著書に「都市農業必携ガイド」(農文協)「新・いまこそ農業」「東京農業クリエイターズ」「食と農のプチ起業」(イカロス出版)

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